21
4月

日本の遊郭の歴史

日本の性風俗と言えば昔は「遊郭」が一般的でした。遊郭は今のソープランドですが昔は日本国中に遊郭がたくさんありました。遊郭は東京の吉原や神戸の福原などが有名ですが戦後売春が禁止されてこうした遊郭はなくなっていきました。
 
 その後一部の遊郭はソープランドに名前を変え営業しています。吉原や福原は今でも有名なソープ街ですし、それ以外にも戦後登場した滋賀県の雄琴なども有名なソープ街です。 
 しかし大部分の遊郭は遊郭としての存在ではなくなり、飲み屋街へと変わっていきました。いまでもこうした遊郭の雰囲気を残した街などがありますので、こうした店を歩いてみるのも楽しいかもしれません。

 そんなソープランドは日本の風俗の中で唯一本番行為ができる風俗のジャンルですが、実は売春禁止法で本番は禁止されているんです。なのでソープランドという存在はグレーゾーンなんです。警察や保健所なども事実上は黙認しているという状態です。

 そんな風俗ですが今後東京オリンピックが開催されるので、規制が始まっていくのではないかと言われています。風俗店が営業している地域の規制が強化されたり検査が厳しくなったりするのではないかと言われています。

1
3月

逆マッサージのできる風俗店

男性がファッションマッサージを受けるのが普通である。

風俗嬢をマッサージできる店はないのもだろうか。

コスチュームは何点かの中から選べる形式。

JK、OL、ナース、着物、浴衣などがあれば嬉しい。

男性が脱がせるのもOK、自らなまめかしく脱いでもらうのも希望次第。

ローションマットは床に敷くタイプと診察台形式の選択ができれば最高かな。

動画でよくあるマッサージ編を再現できるサービスがあればぜひ体験したい。

下着だけの状態でたっぷりのローションで全身を隈なく撫でまわす。

最初はうつ伏せ。背中からヒップ、太ももそして足の指先を撫でる。

もう一度背中に移り、胸へと手を滑り込ませる。

そして仰向けにさせ、胸を執拗に撫でる。鷲掴みにしたり乳首を摘まんだりもする。

胸の愛撫をし始め片手を股間へ移動させ、下着の上から敏感な部分を刺激する。

次に下着の中に手を潜らせ直接刺激する。最後は下着を下ろし全裸の状態で全身をマッサージ。

四つん這いの風俗嬢もいい。

脚を少し開きヒップをツンと突き上げた格好は最高です。

男性も全裸になり、風俗嬢の口、太もも、脚や…へと逸物をゆだねる。

風俗嬢を絶頂に導くのも一つの醍醐味。

女性の絶頂を実際に見たことがない男性は大勢いいると思います。

女性と一緒に男性も果てる。

そんな体験してみたい。

28
2月

日本性風俗の歴史と売春婦

古来より人類最古の職業は売春であったと言われていますが、神に仕える存在として踊りなどの神事を行う一方、男性への性的な接待を行っていた巫女が、後々諸国を漫遊しながら歌や踊りを披露しつつ売春をするようになり、遊女(あそびめ)遊行女婦(うかれめ)と呼ばれるようになりました。

この頃はまだ性を売り物にするのではなく、芸事と性行為は芸の一部とみなされており、性交はあくまでも芸の付属としてみなされていました。

鎌倉時代頃になると、移動手段として船も登場するようになり、道や船の便もよくなるにつれ、宿場町には遊女も増加していきましたが、豊臣秀吉が性風俗を取り締まるために、公共の売春施設である「遊郭」を設置しました。

江戸時代になると、日本全国で遊郭が政府によって作られるようになり、江戸にも人形町に吉原に遊郭ができ、あの絢爛豪華なおいらんが誕生します。

おいらんは普通の女郎とは違い、幼少の頃から歌や三味線・踊り・書道・茶道・和歌・囲碁などを教え込まれ、教養ある女性として浮世絵などにも登場したり、そのファッションは庶民の憧れの的となっていました。

おいらんは遊女のなかでも高級娼婦の部類でしたので、一部の武家や豪商でも3回通わないと同衾(床入り)してもらえないばかりか、多額の代金を必要としました。

おいらんではない普通の遊女は、わずかな金で女衒(ぜげん)に売られ、買われた店での年季が明けるまで毎日何人もの男を取らされた上、性病などで年季が明けきれないうちに死んでしまうものも多数いました。

27
2月

ソープの成り立ちのひとつ

日本の風俗というのは大浴場から始まっています。

江戸時代から銭湯はありました。そして、それは混浴でした。男女が裸で、同じ大きなお風呂に入っていたのです。いまでは考えられないことです。私がその場にいたら勃起してしまうでしょうが、おそらく、勃起をした人間がからわかわれることはあっても、そのままの勢いで女性が襲われてしまうということはなかったのでしょう。

しかし、平和的なセックスは行われていました。

銭湯のすぐとなりにはちょっとした部屋がいくつもならんでいる建物がありました。その部屋に、男女が入っていってセックスすることが公然と認められていたのです。

部屋代はちょっとした、いまでいうラブホテルの休憩代にもならないくらいの微々たるものですが、興奮した男女がそこに行くことは普通でした。実はそれは、女性は男性をひっかけるつもりで来ていて、部屋代とは別に、女性は男性にお金を要求するのです。女の子たちを管理する元締めみたいな人もいて、それが店舗経営者のようなものでした。

そういうこともあって、子どもへの教育も考えてか、そういう商売の女性が入っていい銭湯と入ってはいけない銭湯というのが分かれていって、いまでいう、ソープのような形ができあがっていったのです。

26
2月

豊富な隠語が姿を消した風俗

最近は堂々とソープランドならピンク色のいかにもな感じの看板であるとか、ピンサロなら店の表にエッチな言葉が並ぶようになってきました。昨年風俗について研究をされている老人に話を伺いましたが、昔の風俗店はもっと多くの隠語を駆使しながら営業を行っていたようです。たとえば、先ほど挙げたソープランドにあたるような風俗店でも一見民家にしか見えない建物で、玄関先には看板などが全くありませんでした。そのかわり、塀の部分に風俗店であることが分かるような隠語が彫られていたり、お客になりそうな男性に対して事前に公には理解しづらいピンク用語で宣伝活動を行っていたりしたそうです。戦後では、外国人兵士が風俗であるとは気付かれないよう看板に隠語を隠していたり、営業活動を公にしている店先でも日本語を組み合わせた暗号のような言葉で宣伝をしていました。現代となっては規制も緩和され、それほど厳しくはなくなってきましたのでオープンな呼び込みの姿も多く見かけるようになってきました。昔はエロに対して禁忌の意識が根付いていましたので、わざわざ隠語でカモフラージュをする必要があったわけです。しかし、みんなエッチが大好きだから人類が繁栄しているので、それに気付いた現代人は風俗店に対して寛容なのです。

25
2月

性風俗が日本の経済を支えている?

やっぱり「性風俗が日本の経済を支えている」とも十分に考えられると思うのです。性風俗だけではなくて、日本のエロ業界全体が世界トップクラスの優秀さを持つ日本人という民族を支えていると思うのですよね。

日本の風俗店を見てみると、たいていの外国人は驚くように、ものすごく発想の豊かさを感じるのですよね。「なぜに日本人はこんなことが思いつくのか!」「こんなサービスをよく思いつくな(最高じゃん)!」といった意味合いにて。

それは日本の技術においても同様で。日本人の発想の素晴らしさ、そしてまた、それらの発想を実現するための底知れぬ努力はもはや驚異だとも言えるでしょう。しかし、ことごとく実現してしまうのが、日本人という優秀な民族であるのです。

そしてまた性風俗業界においても、そのような日本人の優秀さは十分に確認することは可能です。人々はエロを求めるからこそ、技術を発展させるのであって、それがたとえ邪なパワーだと言われようと、日本人の頑張りには得体の知れないものがあります。

ですから、性風俗業界においても、日本人の発想の素晴らしさと優秀さを確認することは十分に可能であり、そしてまた日本の歴史を知る上においては、性風俗業界は欠かせないと言えるのです。

24
2月

大阪新町遊廓

大阪にはかつて新町という遊廓がありました。江戸の吉原、京都の島原と並び三大遊廓と称されたたいそう大きな遊廓であったそうです。ところが明治以降は松島新地に押され、先の大戦の大阪大空襲で焼け野原となりその後の区画整備で綺麗に整えられ、現在は風俗街すら残っていない面白くない街になってしまっております。

遊廓の「廓」という字は城郭のように囲われた街という意味です。江戸の吉原は一つの大門で制限された完全に囲まれた空間であったために、遊女が門を抜けるというのは大変に難しいことでした。ところが新町は西大門と東大門があり、中を通り抜ける仕様であったこともあり、遊女の外出は吉原のように絶対に不可能なわけではありませんでした。

もちろん自由な外出が認められたわけではなく、パトロンにお金を出してもらって遣り手婆や曲輪の主人とともにではありますが、花見などは可能であったようです。現在の大川の遊覧船と同じく当時も船遊びは活発でありました。今も昔も風流な遊びは廃れませんね。

元禄文化華やかなりしころ、800人の遊女を抱えたと云われる新町もやがて衰退して行きます。最高級遊女である「太夫」の位は絶え、江戸でいう格子女郎、新町では「天神」が最高位となります。江戸の中期から末期にかけて緩やかに衰退した新町遊廓もご維新とともにその役目を終え、松島新地に役目を譲ることとなりました。いまでは大正時代に建てられた新町一丁目の新町演舞場跡がその名残を残すのみとなっております。

23
2月

関ヶ原戦い後の日本の性風俗

関ヶ原の戦いによって、徳川家康は国のトップとなり江戸に幕府を開き、後に将軍となることになります。

そしてここから長い 江戸時代 が始まることになる訳ですが…

これと同時に江戸に性風俗が流行るある事件が起きることになります。将軍しかり商人しかり色々な役職の人が性風俗が通うことがありました。しかし性風俗などごく一部の層しか知らず、性風俗嬢も可愛い人がいなく、今の日本の様な人気はとてもありませんでした。

しかし、徳川家康はある条例二つ出したことで爆発的な人気が出ることになりました。1つは20までに結婚しなかった人は性風俗で強制的に働かせるというもの、2つ目は赤ん坊手当てです。国民からの不満はありましたがそれまでに結婚すればいいのかと皆が一致団結し、子作りに励みました。徳川家康の狙いとしてこれからは若い人が時代を背負っていくことが大事、そうするにはもっと沢山の人を増やさなければならない、江戸をもっと画期的なモノに変えていくというのが徳川家康の狙いなのです。ただ、そういう性欲解消の場ではなく暮らしの中に性風俗を入れることで江戸に爆発的な性風俗ブームを起こし、かつ江戸に若い人を増やしていくという2つの大仕事を達成したと言えるでしょう。これこそ、性風俗の原点とも言える日本の歴史でしょう。

22
2月

江戸時代の人はもっと貪欲?もう何でもあり。

「吉原」はいわずと知れた江戸時代の幕府公認遊郭です。夜な夜な男たちが来て、女郎を買う世界と思われがちですが、実際のところは、江戸観光の定番スポットでした。参勤交代で地方から江戸に出てきた田舎侍はもちろん、一般女性もたくさんここを訪れ、女郎たちがする最新流行の化粧法やファッションを見に来ていました。

同じ遊ぶのなら、良い女と遊びたい。いつの時代もそれは同じです。でも、吉原で遊ぶのはなかなか面倒くさいです。表通りにある立派なお店の遊女と遊ぶには、お金と時間をかける必要があります。そして、男女の仲になれたら、浮気厳禁。新しい子がいいとか、別の女の子をつまみ食いなんてことは許されません。それをしようものなら、女装を無理やりさせられたり、丁髷を切られたり、かなりの辱めを受けます。遊びであっても浮気をするにも覚悟が必要でした。

とはいえ、江戸時代の性風俗は、基本的には今よりもっと緩やかで、開放的です。現在のソープランドにあたるところはもう既にありました。湯屋にはのぞき窓がとあり、それはのぞき部屋を思わせます。もう何でもありです。娯楽が豊富な現代より、より貪欲に快楽を追及していたと言えるでしょう。平たく言えば、今も昔も、み~んな、そういうことが好きなのです。

★参考サイト★
風俗求人情報OVER30

20
2月

日本の伝統風俗とは何か?

日本の歴史を学ぶと切っても切れないのが性風俗の歴史です。人間は昔から変わりません。性風俗は時代とともに変化しています。では、日本の古来からある風俗とは何でしょうか。今日は、日本で昔からある伝統の風俗について記したいと思います。

日本に昔からある風俗の代表格はソープランドです。もちろん、昔からソープランドと言われていたわけではありません。ある文献によると、ソープランドは江戸時代からあったと言われています。当時は風呂屋と言われていました。江戸時代にはたくさんの銭湯があったのですが、その中には銭湯のわきで性的なサービスを提供するお店があったようです。

もちろん、サービスの中身は今のソープと同じようなものでした。あまりにも風呂屋が流行ったため、江戸幕府は制限を設けたほどです。実際にそうした風俗は性病を蔓延させるという恐れもありましたので、江戸幕府は性風俗の規制を始めます。そしてできたのが吉原遊郭です。

その後、吉原遊郭は日本で最大の性風俗街として歴史に今も名を残しています。今でもそうですが、性風俗産業は政府からの規制を常に受けながら発展してきました。そして、これからも人間の歴史には切っても切れない関係として存在していくはずです。

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